【協同の歴史の瞬間】
賀川豊彦の「乳と蜜の流るゝ郷」(その19)
1935(昭和10)年10月号 東助、江東消費組合の仕入れ部職員として働きだす
盲目の鈴子の目が開く
東北・北海道の農業・産業組合の先進事例を学ぶ
監修/堀越芳昭 山梨学院大学 元教授
東京で暮らし始めた東助、浦江夫人と再会する。浦江夫人は、「江東消費組合が仕入れ係がほしい、と言っているので一緒に行こう」と勧めるとともに「中野の組合病院が、鈴子さんの病気に便利を図ってあげると言っている」と伝える。
鈴子はお竹に伴われて組合病院へ、東助は浦江夫人とともに江東消費組合へ行って、その晩から組合の二階に住み込んで仕入れ係として働きだす。組合病院に入院した鈴子の病(目が見えない)は順調に改善に向かい、入院から六日めには目が開いた。そのことの連絡をお竹から受けた東助は万歳三唱し、喜びの涙を流す。
年の暮れ近くになって、東助に青森県弘前のリンゴと北海道酪農組合のバターを仕入れる仕事が回ってきて、東北・北海道に向かう。ともに農業・産業組合の先進事例であり、東助はそれぞれで感銘を受ける。
仕事を終えて東京に戻った東助を待っていたのは、警察の取り調べであった。しかし、これが結果的に東助を再度、大塩村に戻すことになる。
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