【協同の歴史の瞬間】
賀川豊彦の「乳と蜜の流るゝ郷」(その16)
1935(昭和10)年7月号 東助、お竹の養子になる。
監修/堀越芳昭 山梨学院大学 元教授
東助が提案し了承された土地利用組合は順調に滑り出したが、資金面で悩まされた。それを助けたのが、鈴子の養母お竹であった。東助はお竹の金を活用して、村の小作人を助け、さらにヤギとミツバチの巣箱を買ってもらう。「産業組合を助けるためにやってきた」というお竹の言葉を受け、東助も安心して彼女の金を使い、彼女の養子となった。
次に、7月号の小見出しの最後は、「乳と蜜の流るゝ郷」となっている。ここで、賀川が主張していた協同組合のあり方、立体農業の必要性を見ていく。
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