現代に語り継ぐ 賀川豊彦とハル第4回 “同労者”を希求し続けた人生 賀川一枝

賀川一枝

写真提供/賀川豊彦記念松沢資料館
写真提供/賀川豊彦記念松沢資料館

同労者とは、たがいに励ましながら助け合って、目的に向かって活動する関係を指す言葉である。賀川豊彦にとって、ハルはまさに同労者であった。同労者を希求し続けてきたからこそ、さまざまな社会事業を成し遂げることができたと、賀川夫妻の孫・督明の妻である賀川一枝さんは語る。

「人生の同志」としての信頼

賀川豊彦とハル夫妻は、亡き夫・督明の祖父母である。晩年の豊彦は床に伏せっていたので、偉大な祖父との唯一の思い出は、毎朝挨拶に行くと握ってくれた手が、柔らかく温かかったことだけである。ハルは長寿に恵まれ豊彦亡き後、雲柱社とイエス団を率い、引退後も長く家族と暮らした。縁側に正座して居眠りをするハルの前には、組織名の銀行通帳がトランプのようにずらりと並んでいたそうだ。長年、組織の資金繰りに苦労したハルは、やり繰りしてきた習慣を最後まで忘れることがなかったのだろう。

二人は1913年に結婚し、神戸のスラム街に住んだ。豊彦は住民に「私はみなさんの女中をお嫁にもらいました。あなた方の家がお産や病気で手が足らなくて困ったときには、いつでも頼みに来てください。喜んで参ります」とハルを紹介した。若いころの私は、「なんとひどいことを言う男だろう」と憤慨したのだが、今では女中はキリスト教で言うところの僕(しもべ)の意であるし、気兼ねすることなく活動と伝道に邁進できる人生の同志としてハルを認めてのことだったのでは、と理解できる。とにかく、当時モテモテだったという豊彦がハルを選んだ理由には、「人生の同志」として信頼できる信仰に加えて、健康な身体があったのだと思う。それは、自らが病弱であった豊彦には、同労者として不可欠な資質だったのだ。

豊彦は子どもと動物をこよなく愛した(写真提供/賀川一枝)
豊彦と孫の督明。豊彦は子どもと動物をこよなく愛した(写真提供/賀川一枝)

妄想から実在に変える

二人が成し遂げた社会事業を見ると、何か特別な人間のように思ってしまうが、人にはそれぞれ役割があり、自分の特性に合った役割を果たせる関係性を構築できたときに化学反応が起きて、思いもよらぬ力が発揮された結果だと思う。アップルを創業したスティーブ・ジョブズも、優秀なエンジニアや出資者に恵まれなかったら、ただの妄想家で終わっただろう。豊彦も督明も多分に妄想家の才能(!)があり、人を惹きつけ巻き込んでいく人であった。豊彦の壮大な夢を叶えたいと思い、自分の役割(同労者になる、寄付する、人を紹介するなど)を果たした人々の塊が、賀川たちの社会事業を妄想から実在に変えていったのだろう、と督明と私は分析していた。ハルは単なる伴侶ではなく、その最大の実務者でありサポーターだったと確信するのである。

豊彦はスラム街に移り住んでわずかひと月半後の1910年2月16日の日記に「救霊団事業」として11項目の事業プランを書き記している。その資料を見ながら督明と交わした言葉は「まだ同労者が一人もいないのに、団を名乗っているんだね」という気づきだった。豊彦の第二の郷里である徳島・鳴門は四国遍路の地でもあり、同行二人という意識からキリストと共にある「団」であったのかも、とも思う。督明は名刺にKAGAWA&THEIR FRIENDSと示した。化学反応を起こす同労者を希求した祖父と孫の想いが、今、この時代に求められているのではないか。

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公開日:2022/12/01 記事ジャンル: 配信月: タグ: /

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