現代に語り継ぐ 賀川豊彦とハル第2回 賀川豊彦が私たちに託したもの 馬場一郎 生活協同組合コープこうべ 理事長

馬場一郎 生活協同組合コープこうべ 理事長

豊彦とハルは、よくスラムの子供達を郊外に連れ出した(写真提供/社会福祉法人イエス団 賀川記念館)
豊彦とハルは、よくスラムの子供達を郊外に連れ出した(写真提供/社会福祉法人イエス団 賀川記念館)

社会的に弱い立場にある人たちと共に生活しながら自立への支援をしてきた賀川豊彦。その活動の拠点となったのが、神戸のスラムである。目の前にいる人を助けるということに身を投じて実践した賀川の思いとは……。

目の前の人を幸せにする

1909年賀川豊彦は当時西日本最大と言われたスラムに単身で住み込み、救貧の活動を開始します。それはセツルメント運動であります。賀川は「セツルメント運動(※)の根本原理は人格交流運動である」と言い切っています。貧困から人々を救うために人々の変革をなそうとしたのです。人格を交流する中で、人々が変わり、自立し、幸せになっていくことを目指したのです。このことは賀川が書き残した協同組合の七つの中心思想の中の一つ「教育中心」という言葉にも表れています。賀川が生涯つらぬいた考えは救貧、防貧を越え、人が変わり、自立し、主体的に生き、幸せになるために何ができるか、ではなかったのかと思うのです。

そしてそこには、「一人ひとり」が出てきます。「人が幸せになる」ではなく、目の前にいる「この人」が幸せになるということだったのです。コープこうべのお店には「一人は万人のために、万人は一人のために」という文字が掲げられています。一人が万人のためを思い働くこと、そして万人は目の前で苦しむ「この人」のために働くことができるのであり、「この一人」を大切に考えることが賀川の考えの根幹にあったのです。大きな幸せを願いながら一人を忘れない、SDGsがいうところの「誰一人取り残さない」ということです。

※セツルメント運動……労働者街やスラムで医療や教育などの支援を行い、住民と生活を共にしながら地域福祉の改善をはかる社会事業。

賀川は協同組合中心思想を唱えた(写真提供/生活協同組合コープこうべ)
賀川は協同組合中心思想を唱えた (写真提供/生活協同組合コープこうべ)

ハルと共に仲間を増やす

弱冠21歳の賀川豊彦はスラムに入り、貧しい人々と暮らし、目の前の人々を救うためになんでも行いました。この「なんでも」が現代のさまざまな法律や制度になっています。この時賀川の活動に賛同し、一緒に仕事をしていく仲間が増えていきます。その中の一人がハルです。残されたたくさんの写真の中でも、ハルが賀川の仕事を手伝っていた、いやもしかしたら中心になってやっていたことを垣間見ることができます。賀川を陰で支え、ハル自身も多くの働きをなした、まさに同志であったのだと思います。

賀川豊彦の実践の原点は、このスラムでハルや仲間とともに行った仕事にあると思います。社会保障の制度もない時代に、貧困に苦しむこの目の前の人を助けるために、何をなすべきかを問い、人間中心の考え方を土台になされてきたことばかりです。新型コロナウイルス感染症の拡大とロシアのウクライナへの侵攻、大きな時代の変化を経験している私たちは、もう一度この賀川やハルの実践や精神に学び、人間を信頼し、すべてにおいて人間を中心にした考えを持ち、社会をつくっていかなければならないのではないでしょうか。

『春いちばん 賀川豊彦の妻ハルのはるかな旅路』(玉岡かおる著、家の光協会)

10月下旬発刊!
(お申込みはお近くのJAまで)

『春いちばん 賀川豊彦の妻ハルのはるかな旅路』 玉岡かおる著 家の光協会

『家の光』に連載された人気小説を書籍化。貧困、男女格差など数々の社会問題と、夫の賀川豊彦の同志として闘ったハルの波乱万丈の生涯を、今年度新田次郎文学賞に輝いた歴史小説の名手が詩情豊かに描きます。協同組合運動、農民運動、労働運動といった現在のSDGsにもつながる豊彦やハルの広範な活動や、その時代背景も詳解。定価2,090円。

公開日:2022/10/03 記事ジャンル: 配信月: タグ: /

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