【提言】互近助・防災隣組とJA組織ができること山村武彦 防災システム研究所 所長

山村武彦 防災システム研究所 所長

山村武彦

やまむら・たけひこ/1943年、東京都出身。1964年、新潟地震でのボランティア活動を契機に、防災・危機管理のシンクタンク「防災システム研究所」を設立。以来50年以上にわたり、世界中で発生する災害の現地調査を実施。「近助」「互近助」「防災隣組」を考案し、提唱。報道番組での解説や日本各地での講演、執筆活動などを通じ、防災意識の啓発に取り組む。著書は『災害に強いまちづくりは互近助の力~隣人と仲良くする勇気~』(ぎょうせい)など多数。

近年、頻発する災害に防災意識を変えなければ命を守ることができないと強調する。地域の誰一人取り残さないために提唱しているのが、「互近助・防災隣組」である。

意識を変えなければ、命は守れない

アメダス(地域気象観測システム)の観測が始まった1978年頃に比べ、最近は集中豪雨の頻度が2倍になり、時間雨量80㎜以上の恐怖を感じる大雨も1.7倍に増加しています。その結果、大規模な洪水や土砂災害が全国で頻発するようになりました。

こうした気象変化を受け、2015年に水防法が改正され、河川管理者は1000年に1回程度の最大降雨量を基準にした洪水浸水想定区域図を作成します。それを基に市町村が洪水ハザードマップを作り直すことになったのです。最近の水害を見ると、改定されたハザードマップ通りに浸水しているところが増えています。つまり、雨の降り方が本当に変わってしまったのです。ですから防災意識を変えなければ、命を守ることができない時代になったのです。

「公助」の限界

大規模災害直後は、行政などによる「公助」にも限界があります。原則は自らが守る「自助」ですが、高齢者、障がい者、乳幼児などは自力避難は困難です。また、みんなで助け合う「共助」の考えも重要ですが、不特定多数のみんなでは顔が見えず、機能しないこともあります。

平成30年7月豪雨災害がそれを如実に物語っています。約4600戸が浸水した岡山県倉敷市真備町では、小田川などの堤防決壊で町の約3分の1が水没し、51名が犠牲になりました。そのうちの42名(82%)は自力避難できない避難行動要支援者でした。2階建ての1階天井まで水没し、大部分の犠牲者は1階で発見されているのです。自力で2階に上がれなかったものと推測されています。倉敷市真備支所や倉敷市消防局玉島消防署真備分署は1階が浸水し機能不全に陥っています。

1人で約200人を受け持つという民生委員も、道路冠水で身動きできない状態でした。また、自主防災組織の会長は1年交代で町内会長が兼務していることが多く、発災時に機動的対応ができないのが実情です。

平成30年7月豪雨・西日本豪雨で倉敷市真備町は大きく被災した(撮影/山村武彦)
平成30年7月豪雨・西日本豪雨で倉敷市真備町は大きく被災した(撮影/山村武彦)

誰一人取り残さない「互近助・防災隣組」

当時の倉敷市には要支援者の避難支援計画はあっても、誰が誰を支援するかの個別計画が作成途上でした。今、全国で個別計画づくりが進んでいますがどこも難航しています。そこで私が提言するのは、互いに近くで助け合う「互近助・防災隣組」です。高齢化社会では日頃から向こう三軒両隣で見守り合い、洪水の恐れがあれば、隣人同士声を掛け合い早期避難が大切です。防災無線が聞こえない高齢者も、隣人に「一緒に避難しましょう」と言われれば、すぐに行動を起こすのです。

そこで期待されるのは地域に根ざすJA組織です。自治会などと連携した安否確認チーム「互近助・防災隣組」の育成です。住民たちにリスク変化と互近助の必要性を訴え、隣人が隣人を助ける「誰一人取り残さない町」の仕組みを作るのです。同じ時代、同じ地域に生きる者同士は、運命共同体なのですから。

公開日:2022/10/03 記事ジャンル: 配信月: タグ: /

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