現代に語り継ぐ 賀川豊彦とハル第1回 賀川豊彦とハルが目指した社会

杉浦秀典 賀川豊彦記念松沢資料館 副館長・学芸員

賀川豊彦とハルが目指した社会

大正から昭和にかけて、協同組合運動や労働運動など貧しい人々とともに社会運動を先導してきた賀川豊彦。その陰で、同志として貧困と闘いながら運動を支えてきたのが妻のハルである。二人が理想とした助け合いの社会は、どのようなものだったのか――。豊彦とハルのさまざまな業績を通じて、現代に受け継がれる思想と実践を探る。

原点となった救貧活動

賀川豊彦は、日本の協同組合運動の父と言われる人物です。彼の理念は歴史上に留まらず、今日の各種協同組合団体に受け継がれています。JA共済、日本生活協同組合連合会、こくみん共済COOP、労働金庫など、現在では大きく発展を遂げた各協同組合の創設において賀川豊彦は少なからぬ影響を与えました。

1888年に神戸で生まれ、4歳にして両親を亡くした賀川は、父方の実家へ引きとられ、祖母から篤農家になるよう教育を受けました。現在の鳴門市にあった父方の実家は近世期には19ケ村を束ねる大庄屋の家柄でした。しかし子ども時代の賀川の目に映ったのは、困窮し破綻していく地域の農業従事者たちの姿でした。幼い時彼の脳裏にその光景が焼き付いていったと、彼は後に語っています。そのような幼少期の経験は、後の様々な社会運動への下地になっていきました。

やがて成長した賀川は、神戸のスラムへ移り住み、貧困にあえぐ人々と共に暮らしながら、生活改善や地域改良に取り組んでいきます。具体的には、労働組合運動によって雇用と賃金を守り、さらに購買組合を結成して暮らしを安定化させる取り組みを行いました。また近所の主婦たちを集めて、市民組合としての消費組合(今日の生協)を結成していきました。さらには農民組合、共済事業、災害被災地の支援や平和運動などを展開していきました。およそ近代史における「運動」と名がつくもののそのほとんどに、賀川豊彦の名が出てくると評論家・大宅壮一が言っています。

同志ハルとの出会い

そんな賀川豊彦には、賀川ハルという生涯のパートナーがおりました。彼女が陰になり日向になりのサポートをして賀川を助けてきたからこそ、これだけの膨大な活動ができたと言えます。賀川ハルは、賀川と同じ1888年に横須賀で生まれ、親戚の経営する神戸の製本工場で印刷工として働く中、賀川と出会いました。やがて賀川が住むスラムへ自らも移り住み、救貧活動に参加するようになります。そしてある時、親が勧めてきた縁談を賀川へ相談したところ、逆に賀川から求婚されるという思わぬ展開となりました。驚いたハルは一目散にその場から逃げかえりますが、翌日謹んで受け入れる手紙を届け、二人は晴れて結ばれました。そして、二人三脚の長い旅へと向かったのです。

大正2年5月27日に豊彦はハルと結婚
大正2年5月27日に豊彦はハルと結婚

新婚時代の二人は、連日病人や近所の子どもたちの世話、困窮した人々のために働きました。福祉事業の先駆けです。無頼漢に襲われ、南京虫に刺されても逃げ出さず、湯垢が堆積した銭湯でさえ嫌がりませんでした。そんな中ハルは、女性の労働運動として「覚醒婦人運動」を始め、また文筆活動も精力的に行い、活動家および文化人としての業績を遺しました。こうした賀川夫妻の軌跡は、貧困問題のみならず、社会全体のあるべき姿を追い求めてきたものでした。それは助け合いの社会をつくることでした。協同組合の歴史の支流の一つには、賀川夫妻の貧困との闘いとそれを克服する「助け合い」の理想があったのです。

『春いちばん 賀川豊彦の妻ハルのはるかな旅路』 玉岡かおる著 家の光協会
『春いちばん 賀川豊彦の妻ハルのはるかな旅路』(玉岡かおる著、家の光協会)

『家の光』で連載していた、賀川豊彦の妻ハルの生涯を描いた小説が単行本になります(2022年10月中旬発刊)。詳細は10月配信でお知らせします。

公開日:2022/09/01 記事ジャンル: 配信月: タグ: /

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