【協同の歴史の瞬間】〔第82回〕1933(昭和8)年11月24日 「全日本商権擁護連盟」設立される(下 その1)監修/堀越芳昭 山梨学院大学 元教授
監修
堀越芳昭
山梨学院大学 元教授
協同組合や農協界にとって重要なターニングポイントとなった記録をひもとく。
「日本商権擁護連盟」が設立された翌年、全国農村産業組合協会(農産協)は反産運動対策の基本方針を決定した。反産運動への理論的反撃の内容とは……。
1934(昭和9)年1月20日 反産運動対策の基本方針を決定
前々回は、1933(昭和8)年11月24日に「日本商権擁護連盟」が設立され、そしてその日を期して全国一斉に商権擁護大会が開催されたという「第一次商権擁護運動」の概要をみた。前回は「第二次商権擁護運動」の概要と第四次まで執拗に展開されたことをみた。今回は、産業組合陣営における反産運動対策の展開をみていく。
産組中央会は反産運動に、当初は静観主義で対応した。1933(昭和8)年1月の第41回支会役員及主事協議会において「積極的対策をなさず、(略)当分静観する」ことを申し合わせたのである。
しかし、日本商工会議所が中心となって全日本商権擁護連盟を設立することが決定された同年10月に、中央会、全購連、全販連等の役員を以て反産対策委員会を設置し、さらに10月20日には、反産運動対策組織として全国農村産業組合協会(農産協)を結成した。そして1934(昭和9)年1月26日に農産協の第1回総会を開き、反産運動に対する決議、宣言を行って反産運動対策の基本方針を決定し、反産運動に対する理論的反撃を行っていく。その内容をみていこう
全国農村産業組合協会第一回総会における反産業組合運動対策に関する宣言、決議
輓近(ばんきん)、正当なる我が産業組合運動を誤認し、反産業組合運動の挙に出づるものあり。日本商工会議所指導の下に反産業組合運動の全国的組織漸く具体化し、昨秋全日本商権擁護連盟の組織、大会の開催、宣言決議の発表等行わる。吾人は敢へて之を意に介せず、専ら組合自体の拡充に善処し来たりたりと雖(いえど)も、之も放置せんか、世論を惑わし、社会を毒するに至らんことを憂へ、茲(ここ)に吾人の立場を宣明せむとす。
(略)
中小商工業者窮迫の原因を一に産業組合に転嫁せんとするが如きは、現代社会の経済組織とその動向に対する認識を欠くの甚だしきものと謂わざるべからず。彼等を圧迫する大なる原因は寧ろ他に存すべく、之等に向かって一層視野を拡大せんことを吾人は警告すると同時に、其の窮状を緩和し得るものは産業組合、商業組合等の経済的協同組織の考究利用にあることを勧告するものなり。
(略)
今や、我国は複雑多岐なる国際関係の渦中にあり、国内問題も亦、未曽有の困難を極め、之が解決の為には、朝野を挙げて憂慮努力する所にして挙国一致、国難に当たるべきものなりと信ず。而して、農業者に在りては、将来共に産業組合組織に依りて其の経済を更生し、生活の安定向上を図り以て国家の中堅たらむことを望むものにして、かかる正当なる自主的経済運動に対する凡ゆる妨害は之を徹底的に排除せんことを期す。
上、宣言す。
決議
農村経済更生を図り国家隆昌の基礎を確立するが為、吾人は下記事項の遂行を期す。
1.産業組合拡充五ケ年計画の徹底的遂行
2.農業者の自主的経済組織たる農村産業組合の強化
3.都市及農村に於ける庶民大衆の提携連絡の促進
4.農村経済更生の為の産業組合保護助長政策の拡充
5.産業組合課税の反対
宣言・決議から反産運動の本質(現代社会の経済組織とその動向に対する認識を欠くの甚だしきもの)、産組中央会・農産協の進める活動の正当性(農業者に在りては、将来共に産業組合組織に依りて其の経済を更生し、生活の向上を図り以て国家の中堅たらむことを望む)を強調していることが読み取れる。
この宣言・決議のもとで、産組中央会・農産協は、『反産運動に関する資料』(昭和9年1月)、『商工業者と産業組合』(同2月)、『産業組合は過当なる保護を受くるものに非ず』(同2月)等の調査書やパンフレットを刊行し、反産運動に対する理論的反撃を行っていく。
しかし、1935(昭和10)年になると、反産運動も産業組合の反産運動対策運動も大きくその様相が変貌していく。
次回はその展開をみていくこととする。
参考文献/『産業組合運動資料集 第1巻』 古桑 実編(日本経済評論社 1987年)
『産業組合中央会史』 全国農業協同組合中央会(1988年)