【協同の歴史の瞬間】
賀川豊彦の「乳と蜜の流るゝ郷」(その15)
1935(昭和10)年5月号 鈴子、芸者だったことを告白する。東助を排斥する動きが強まる。
1935(昭和10)年6月号 山津波等により村が困窮する中で東助、その打破に挑む。
監修/堀越芳昭 山梨学院大学 元教授
東助と鈴子の結婚式で行方不明になった田中高子に関し、鈴子はその理由を高井米子から教えられる。高子が見つかったという情報が入り、鈴子ほか娘たちは高子の家に行く。そこで鈴子は、かつて芸者であったことを告白する。
それを聞いた高井米子は、鈴子がもと芸者であったことを村じゅうにふれ回る。村会議員、小学校校長を悩まし、青年会、処女会も東助を排斥するようになり、東助は青年団長を辞任し、組合の専務理事職をも平泉又吉にゆずらねばならなかった。
その時、大塩村を大雨、暴風が襲う。山津波等により村は壊滅状態になるなかで、改めて東助の力が必要だ、という声が出てくる。東助は、荒廃地回復のために土地利用組合を作ることとし、村人に提示し、実践に移していく。
クリックして読む