【協同の歴史の瞬間】
賀川豊彦の「乳と蜜の流るゝ郷」(その9)
1934(昭和9)年『家の光』10月号
処女会と青年団合同の学習会を企画するも成立せず。
1934(昭和9)年『家の光』11月号
医療組合の必要性を痛感、村の更生に向けて動き出す。
監修/堀越芳昭 山梨学院大学 元教授
処女会と青年団合同の学習会が開催されることになったが、多くがかるた取りに参加し学習会は成立しない。東助は、村の青年たちの緊張感のなさに失望する。
そこに母の病気の知らせが届く。七転八倒する母を助けるため喜多方町まで行って医師に往診を依頼するが受けてもらえず、医療組合の必要性を痛感する。
その母が元気になると、東助は動き出す。まずシイタケ作りにはじまり、コイの行商の話が一気に現実化し、おおいに成果を上げ鯉販売組合を作る。さらに処女会の会員を対象にホームスパンを副業とするための教室を開く。これらはそれまでの大塩村にはない取り組みで、村の更生につながると期待された。
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