【協同の歴史の瞬間】 賀川豊彦の「乳と蜜の流るゝ郷」(その6) 1934(昭和9)年『家の光』8月号 東助、肺炎を発症し、中野組合病院へ入院。 退院後、中ノ郷質庫信用組合を訪ねる。 監修/堀越芳昭 山梨学院大学 元教授
高円寺消費組合の再建に奮闘した東助を病が襲う。元旦を床の中で送る羽目になった東助を小浜里子が必死になって看病する。さらに童話作家の浦江夫人が中野組合病院への入院を勧め、手続きもしてくれた。二人の女性に助けられて東助は入院する。
入院した東助は、中野組合病院をみて「農村の貧乏の最大原因である病気を救うくふうが医療利用組合によってできること」を確信する。
一日も早く福島に帰ろうとするも旅費がないため中ノ郷質庫信用組合を訪ね、五円を貸してもらう。この信用組合が社会事業の性質を持っていることに注目し、福島に帰って 理想的な組合をつくってやろう、と決意する。
今回の舞台になった中野組合病院、中ノ郷質庫信用組合とも賀川が設立に関わったものであり、小説を通して自分の考え・理想とするところを大衆に訴えようとする賀川の手法の一つである、ことにも注目したい。
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