【協同の歴史の瞬間】〔第87回〕1934(昭和9)年6月21、22日 宇都宮高等農林学校において「第一回産業組合問題研究会」開催される(その2) 監修/堀越芳昭 山梨学院大学 元教授
監修 堀越芳昭 山梨学院大学 元教授
前回は「産業組合問題研究会(以下研究会)」の設立背景、第一回研究会の「開会の辞」をみた。今回は宇都宮高等農林学校長の「挨拶」、研究会の内容ならびに参加者の状況とその特徴をみた後、研究会事務局による「総括」を引用して筆者としての第一回研究会の総括とする。
宇都宮高等農林学校長・山縣 宇之吉による挨拶
初めに宇都宮高等農林学校長の挨拶(全文)をみる。
輓近(ばんきん)我国の経済は諸方面に幾多の改革を必要としています。特に農業経済の方面には解決せらるべき大いなる問題が横たわつています。或は米穀問題と云ひ、養蚕問題と云ひ、米繭何れも我農産物の大宗でありまして、是が盛衰は乃ち我農民、ひいては日本経済一般の興廃の問題と存じます。
然るに斯(かか)る問題の解決に就いて先づ考へられなければならぬ事は共同協力と云ふ事であります。従来の如く個人の力にのみ依存しては解決し得ざるものと思ひます。
茲に産業組合の使命が益々重きを加へ来たものと考へられます。本校には夙(つと)に農業組合の講座を置きまして、特に産業組合の指導をして居りますが、斯(か)かる国家的、国民経済上の大問題は、個々の研究が孤立し或は割拠して教へ又は研究すべきではありません。宜しく邦家興隆の為に、万人協調相互相図り相連絡して研究開発すべきものだと存じます。この趣旨に於て、今度産業組合中央会並に文部、農林両省の皆様に御諮りしました處、諸方面の快き御賛成を得まして、今日爰に本研究会を催すことになりましたのは洵(まこと)に慶賀の至りと存じます。而も最初の会場を當校に開かれましたことは、私共の深き欣幸光栄と存ずる次第であります。唯何分僻陬(へきすう)の地でありまして、特に平素学究に従事して居りまして、実社会の世事に不慣れなる私共に於きましては、設備万端、又は御接待に於て諸般の手落、不行届が多いと存じますが、何卒御厚情に御寛恕(かんじょ)下さいまして、邦家の為、御寛ぎの上熱ある御研究を闘わせて戴かれますなれば、我々の感銘措く能はざる處であります。一言御挨拶申上げます。
この挨拶の「本校には夙に農業組合の講座を置きまして、特に産業組合の指導をして居ります」ならびに「この趣旨に於て、今度産業組合中央会並に文部、農林両省の皆様に御諮りしました處、諸方面の快き御賛成を得まして、今日爰に本研究会を催すことになりました」という部分から、宇都宮高等農林学校(以下、宇都宮高農)が「産業組合研究に精力的に取り組んでいる」さらに「本研究会開催に向けて仕掛け人としての役割を果した」という自負をみることができる。
宇都宮高農は1922(大正11)年の創設時、農学科・林学科・農政経済学科の3科を設置した。農政経済学科を置いたことがこの学校の特色となったが、この特色を持っていたから「産業組合の指導をして居ります」と言えたし、産業組合中央会・農林省・文部省とも協議が可能だった、と言えるのではないか。
第一回研究会の内容と参加者の特徴
第一回研究会は「研究発表」と「討議」の2部構成となっている。
研究発表のテーマと発表者、討議のテーマと座長、報告者は次のようになっている。テーマは多様性に富み、討議では「現在の経済機構における産業組合の地位」という直面している問題を設定し、「農村経済の再構築」「流通過程」「生産過程」の3つの面から産業組合の役割・在り方等について意見交換をしている。
<研究発表>(6月21日)
1. 丁抹(デンマーク)の産業組合に就いて(鳥取高農 山枡 忠好)
2. 産業組合法の任務(九大 沢村 康)
3. 消費組合と農業生産組合との関係に就いて(中央会 金井 満)
4. 産業組合の諸問題(農林省産業組合課長 田中 長茂)
5. 時局蚕糸対策と産業組合(上田蚕糸専門 早川 直瀬)
6. 産業組合の本質と農家協同組合の機能(京大 棚橋 初太郎)
7. 産業組合のデモクラシーに就いて(東大 近藤 康男)
8. シュルツェとライファイゼンの論争(北大 渡辺 侃)
9. 協働組合主義に就いて(専修大学 篠田 七郎)
<討 議>(6月22日)
問 題 現在経済機構における産業組合の地位
第一部 「農村経済の再組織と産業組合」
<座長 田中 長茂(農林省) 報告者 杉野 忠夫(京大)>
第二部 「流通過程と産業組合」
<座長 千石 興太郎(中央会) 報告者 本位田 祥男(東大)>
第三部 「生産過程と産業組合」
<座長 那須 皓(東大) 報告者 東畑 精一(東大)>
参加者をみると、5帝大(東大、京大、北大、九大、台北大)10名、2私大(法政大、専修大)2名、10高農(宇都宮高農、盛岡高農、鳥取高農、三重高農、岐阜高農、宮崎高農、上田蚕糸、東京高蚕、京都高蚕、千葉高等園芸)18名、農林省3名、文部省1名、中央会・産組中央機関役職員21名、32道府県・支会(中央会)関係者106名、合計161名であった。
その特徴の1つは、大学からの参加者は12名と少ないが、協同組合研究分野における精鋭、精鋭に成長していく逸材が集ったということである。伊東勇夫氏は、那須皓・東畑精一『協同組合と農業問題』(1932年)および近藤康男『協同組合原論』(1934年)について「この両協同組合論によって、わが国の協同組合論は飛躍的に理論水準を高め、戦前における協同組合研究の峰をつくった」と述べられているが、その3人(ともに東大)が参加されたこと。さらに『協同組合の源流ロバアト・オウエン自叙伝』(五島茂と共訳)を出版(1928年)するなど消費組合運動に影響を与えた本位田祥男(東大)、農業問題全般にわたって多数の研究業績を発表していた九大の沢村康、当時は若手であったが戦後の京大・北大の協同組合・農業の研究をリードしていく棚橋初太郎・渡辺侃などが参加していた。
2つ目の特徴は、道府県・支会(中央会)関係者が多く参加していることである。これは前回も見たように反産運動が激化するなかで「実践的な産業組合運動論の構築」が切実に求められていたためであろう。
第一回研究会の総括
『第一回産業組合問題研究会報告書』の最後に、「宇都宮高等農林学校 農政経済研究室にて」として高須虎六・磯邊秀俊(事務局として位置づけられよう)連名で「後記」を設け、次のような「総括」をしている。短い「総括」であるが的確にまとめられているのでそれを引用して筆者としての総括としたい。
「ともあれ、今日我産業組合運動は、革(あらた)めらるべき多くの問題を有つている。そしてその何れもが、本会に於て一応提出された事は、この研究会の社会的な意義を物語るものである。勿論、時間的制限から、多くが未解決に持越されたけれども、問題の所在を明示した事は本会の功績として挙げらるべきであろう。」
参考文献/『第一回産業組合問題研究会報告書』(産業組合問題研究会、高陽書院、1935年)
『日本協同組合学会20年史』(日本協同組合学会、2000年)
『産業組合中央会史』(全国農協中央会、1988年)
『新版 協同組合事典』(家の光協会、1986年)