現代に語り継ぐ 賀川豊彦とハル第5回 写真でみる豊彦とハルの家族観 冨澤康子 賀川ハル研究会
冨澤康子 賀川ハル研究会
賀川豊彦とハルは救貧活動を続けるなかで、3人の子どもを育てた。長女(千代子)の娘が冨澤康子さんである。豊彦とハルの遺された家族写真からは、子どもたちに愛情を注ぐ家庭人としての姿がうかがえる。
豊彦の本を売って献金するハル
豊彦の蔵書の幾冊かがハルによって古本屋に運ばれ、それが貧しい人々の米代になったと、『クリスチャングラフ』1982年7月号にありました。升崎外彦牧師の話として、「(豊彦に)…献金をお願いしたところ、『ハルさんに貰って来給え』と言われました。そこで、世田谷のハル夫人に賀川先生の言葉を伝えたところ、ハル夫人は『ちょっとお待ちください』と言って、乳母車に賀川先生の蔵書を積んで出ていきました」。ハルは古本屋に売りに行ったのです。
上の写真は、教会の庭で豊彦が私を乳母車に乗せて押しています。この乳母車は本を運ぶには頑丈でよかったのかもしれませんが、硬く、乗り心地は良くありませんでした。その後、中古の青い乳母車をいただいたので、私の弟は乗り心地がほどよい乳母車に乗ることができました。
私の父 冨澤摂夫の本棚に古い理化学事典が1冊ありました。これには豊彦の蔵書のゴム印が押してありました。ハルは豊彦の蔵書を古本屋に売りましたが、豊彦とハルの間で蔵書印が押してある本は売ってはいけない“しるし”に決めていたのかもしれません。なぜなら、ハルには、外国語の書物が貴重か、貴重でないか、売って良いものか判断できなかったと思います。
相思相愛を物語るもの
ハルが1929年の豊彦の誕生日に送った手紙は「この御誕生に依り春子ハよき夫を得 純基 千代子 梅子ハよき父を得て居ることを感謝いたします。最も愛する賀川豊彦様 愛せらるる春子」と結んであり相思相愛であることがわかります。
豊彦とハルは1888年生まれの同い年です。1950(昭和25)年、豊彦62歳のとき海外伝道中に、旅先からハルに「妻恋歌」を送りました。この詩は豊彦召天2か月後に蔵書の整理中に、洋書のカバーの裏から見つかりました。
雲柱社の前で撮った1956年1月の家族写真では、豊彦の手はハルの右腕に、たぶん、左手はハルの腰に回して、愛していることを示していると思います。賀川豊彦松沢資料館が建つ前、ペスタロッチ館の隣の住居にハルは住んでいました。豊彦の死去後、ハルの机の引き出しに、豊彦の髪の毛ひと房と爪を和紙に包んで大切に持っているのを見ました。
写真で見る豊彦と家族の関係
豊彦は伝道旅行などで家を留守にすることが多く、妻のハルと、純基(長男)、千代子(長女)、梅子(次女)との関係性を写真から知ることができます。
縁側で撮影した家族5人の集合写真も残っています。その写真には豊彦の膝に機嫌が良くない雰囲気の梅子が座っています。じつは、その前の瞬間を撮影したと思われる写真があります。それが上の写真です。屋外のテーブルの上の機嫌を損ねた梅子を豊彦が一生懸命、なだめています。
豊彦は留守が多く、家族の中で居心地が悪かったようです。豊彦以外はハルの指示により並び、いつ写真をとられても良いポーズをとっているのに、豊彦はしゃがみ込み、思わず飼い犬のルルをなでている写真もあります。これらの写真から、豊彦の人間味や人柄が伝わってきます。
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『春いちばん 賀川豊彦の妻ハルのはるかな旅路』チラシ[PDF]公開日:2023/01/04 記事ジャンル:現代に語り継ぐ賀川豊彦とハル 配信月:2023年1月配信 タグ:助け合い / 協同組合の歴史