【協同の歴史の瞬間】〔第86回〕1934(昭和9)年6月21、22日 宇都宮高等農林学校において「第一回産業組合問題研究会」開催される(その1)監修/堀越芳昭 山梨学院大学 元教授
監修 堀越芳昭 山梨学院大学 元教授
現在の「日本協同組合学会」のような研究者・協同組合関係役職員が一堂に会する研究会が最初に開催されたのは1934(昭和9)年。今回は、「産業組合問題研究会」の設立背景、ならびに「第一回研究会」おける「開会の辞」をみていきたい。
『日本協同組合学会20年史』は、次の文章から始まっている。
協同組合についての学際的研究で研究者・協同組合関係役職員が一堂に会した研究会はこれまで3度もたれている。
最初は、「産業組合問題研究会(以下、研究会)」で1934(昭和9)年を第1回とし、中断しながら1943(昭和18)年までに6回開催されている。
2度目は、協同組合短期大学・協同組合経営研究所を事務局とする「協同組合研究会」で1955(昭和30)年に組織され、翌56年、「協同組合の組織と経営」を共通テーマとしてスタートし、1967(昭和42)年、「協同組合の原則」を課題として全12回もたれている。
3度目は、1981(昭和56)年に結成された現在の「日本協同組合学会」である。(以下略)
研究会の設立背景
1929(昭和4)年10月に勃発した世界恐慌はわが国にも波及し、昭和農業恐慌を引き起こした。農業恐慌からの起死回生のために農林省は32(昭和7)年5月に更生計画の実務を担当する経済更生部を設置し、経済更生運動を進めていった。その運動の中心機関として産業組合を位置付けたため産業組合陣営は翌33(昭和8)年から「産業組合拡充五ヶ年計画」に取り組み、農林省の助力もあり産業組合の事業・経営は着実に進展していった。
その一方で、大資本からの攻勢と産業組合の伸長によりますます圧迫されるようになった中小商工業者は全日本商権擁護連盟を結成し、反産業組合運動(反産運動)を全国的な規模で執拗に展開した。
これに対し産組陣営は、産業組合青年連盟全国連合(産青連)<33(昭和8)年4月>、全国農村産業組合協会(農産協)<34(昭和9)年1月>を設立して、対抗した。実践的な産業組合運動論の構築(=「理論と実際の接近」)が欠かせぬ時期に入ったと言えよう。
このことは『第一回産業組合問題研究会報告書』の「序」の冒頭文章からも窺える。
現恐慌は、特に農村の苦境は、我国の産業組合運動をして、今や画期的なる発展を促すの動因となった。而して其運動の内部には、幾多の新しき問題を醸成し、夫れは、従来の伝統的なる理論なり研究なりでは到底解決し得難い要素を含むに至った。従って茲(ここ)に、従来の理論を実象によって革め或は高むるの必要、而して実際運動を導くに足るの力を理論に有たしむることは、何人も等しく要望するところとなった。
斯かる理論と実際との一致に就いては、学究者と実践家との共同研究が必要なりとせられ、茲に昭和九年六月二十一、二日の両日、本研究会が開催さるるに至った。(以下略)
この研究会について『産業組合中央会史』は、「ちなみにこの研究会は、宇都宮高等農林学校高須虎六(筆者 後に三浦虎六に改姓)教授の発案と進言によるものであり、東大・那須皓教授の協力のもとに行われた」と述べている。
開会の辞を産業組合中央会々頭が述べる
研究会の開催に当たり「開会の辞」を産業組合中央会々頭 志立鐵次郎、「挨拶」を宇都宮高等農林学校長 山縣宇之吉が述べているが、かなり長い文章のため、今回は「開会の辞」を要約して紹介したい。「挨拶」は次回に見てみたい。
開会の辞 産業組合中央会々頭 志立鐵次郎
今回宇都宮高等農林学校と産業組合中央会とが合同して、二日間に亘る産業組合問題研究会を開催し、産業組合の事に造詣の深い方々に御願して平素御研究になっている所の一端を、発表して戴くやうになったのは誠に有り難いことで、主催者として講師諸君に厚く御礼を申上げます。
開会の辞としてはこれで盡(つ)きた訳でありますが、立ちました序(ついで)に二十分ほど私見を陳(の)べてみたいと存じます。我国の産業組合は可なりの発達を遂げ国家社会に貢献したる所も少なくないと考えますけれども、組織や経営の上に改良すべき幾多の点が猶ほ存している居るのみならず、その根本の事にも考察を要する点が残されてあると考えますから、これ等に就いて研究を重ねることは頗る有益であると信じます。産業組合運動は空想でなく実際的な社会改良運動でありますが、その目的を達するため一時の便宜に駆られて姑息の手段を取ることは戒むべきことで、厭くまでも理想に忠実でなければならぬと考えます。(略)
共存共栄の人類愛を基礎とする産業組合は国際間に於て協力し、以上に陳べた現代の変態的経済状態を矯正し、世界全般の平和安寧を達成することに努力せねばなりません。それと共に国内に於ける生産販売の強力的統制を排除することに協力すべきものと考えます。産業組合運動は民衆の自発的運動でありまして、官府の力に依て作製せらるべきものでありません。産業組合の発達を望むの余り官辺の力を以て組合を設立し、又は地方民に組合加入を強制すべしとの意見があるのは遺憾でありまして、天保時代に水野越前守の執った政策の如きものを主張することは、産業組合運動者の猛省すべき所と考えます。
以上は私見の一端を極めて断片的に御話したものでありまして、定めて御聴苦しかったであらうと存じますが、産業組合の基礎観念に幾分か触れた積りでありますから、皆様方の教えを受けることが出来れば仕合に存じます。開催者としての御挨拶を兼ね、聊か卑見を申上げて開会の辞といたした次第で御座います。
志立会頭は、中央会の機関誌『産業組合』1936(昭和11)年1月号「産業組合の自主性」と題する論文で、組合の自主独立の必要を強調しているが、ここでも「官辺の力を以て組合を設立すること」「地方民に組合加入を強制すること」は、「産業組合運動者の猛省すべき所」と持論を熱く展開している。
この志立会頭の「開会の辞」から類推できるように「この研究会の開催には中央会としては非常な力の入れ様で志立会頭、千石常務を始め、部長は全員出席」(『産業組合中央会史』)
という姿勢で臨んだのである。
参考文献/『第一回産業組合問題研究会報告書』(産業組合問題研究会、高陽書院、1935年)
『日本協同組合学会20年史』(日本協同組合学会、2000年)
『産業組合中央会史』(全国農業協同組合中央会、1988年)