【協同の歴史の瞬間】〔第80回〕1933(昭和8)年11月24日監修/堀越芳昭 山梨学院大学 元教授

監修

堀越芳昭
山梨学院大学 元教授

堀越芳昭 山梨学院大学 元教授

協同組合や農協界にとって重要なターニングポイントとなった記録をひもとく。

産業組合運動資料集1巻~5巻
産業組合運動資料集1巻~5巻

「全日本商権擁護連盟」設立される(上) ~中央・地方で反産運動を大々的に展開~

農林省は農業恐慌への対応策として、1932(昭和7)年10月から「農山漁村経済更生運動」を展開し、この運動の中心に産業組合を位置付けた。

産業組合陣営は、農業政策の強化と政策的役割の増大に対応して1933(昭和8)年1月から「産業組合拡充五ヶ年計画」を展開した。行政および産業組合陣営の努力と昭和農業恐慌からの脱出がゆるやかに進行したことによって、産業組合の事業と組織は大きな伸長をみせるようになる。

産業組合の発展は、農村を営業基盤としている商人との対立をもたらした。さらに産業組合事業の系統化は地方都市における日本商工会議所の有力な構成員であった地方卸売商にも大きな打撃を与えた。しかも、産業組合に対する政策が強化されたのに対し、中小商工業に対する政策にはみるべきものがなかったために、商工業者は結束して反産業組合運動(反産運動)を展開するようになった。

日本商工会議所は、昭和8年10月27日、同11月9日の2度にわたって東京商工会議所、日本実業組合連合会、全日本商店会連盟、全日本肥料団体連合会、全国米穀商組合連合会、三都文具卸商同業組合連合会、全国醤油醸造組合連合会、全国売薬業団体連合会と連合協議会を開き、これら諸団体を以て全日本商権擁護連盟を設立することを決定した。

具体的には、中央(東京)においては日本商工会議所を中心として全日本商権擁護連盟本部を組織し事務所を日本商工会議所内に置くこと、地方においては道府県を単位とし、道府県庁所在地の商工会議所を中心に各道府県下商工団体を糾合して全日本商権擁護連盟地方支部を組織化すること、さらに設立日を同11月24日とし、その日を期し全国一斉に商権擁護大会を開催することを決定した。

  協同の歴史の瞬間

11月24日当日、中央においては日比谷公会堂で関係者約4,000名参集のもと全日本商権擁護連盟大会を開催した。開会の後、「宣言および決議」を可決、続いて十数名の弁士による「産業組合の中小商工業者に対する圧迫の実例を挙げて商権擁護の必要性を訴える」旨の演説会を開き、その間代表者は「宣言および決議」を掲げて内閣総理大臣・関係各大臣を訪問し種々の陳情をおこなった。

地方においても、この24日を前後して、道府県庁所在地商工会議所が中心となり関係各商工団体連盟のもとに全日本商権擁護連盟支部大会を開催しそれぞれ宣言・決議をし、演説会を開き、道府県当局および地区選出貴衆両院議員に陳情をおこなった。24日を前後して開催された支部大会は全国43都市、参加団体数は約2,000に達した。

中央における決議をみておこう。

<商権擁護に関する決議>

吾人は商権擁護の為め極力下記事項の達成を期す

  1. 購買組合販売組合の事業に官憲の関与を厳禁すること
  2. 購買組合販売組合に対する国費及地方費の補給を廃止すること
  3. 購買組合販売組合に対する各種免税の特典を撤廃すること
  4. 購買組合販売組合の違法行為脱法行為の取締を励行すること
  5. その他購買組合販売組合に対する保護助長の特典を撤廃し営業者と均等の待遇を為すこと

吾人は本連盟の全国的結束を益々強固にしあくまで前各項の趣旨貫徹に邁進せんことを期す

上決議す 昭和8年11月24日
      全日本商権擁護連盟大会


以上が「第1次商権擁護運動」の概要であるが「決議」内容の激烈さからもわかるようにこれ以降、日本商工会議所が中心となって執拗な「商権擁護運動」が展開されていく。次回はそういうことをみていきたい。

参考文献/『産業組合運動資料集 第1巻』古桑実編(日本経済評論社、1987年)
     『新版 協同組合事典』協同組合事典編集員会(家の光協会、1986年)

公開日:2022/07/01 記事ジャンル: 配信月: タグ: /

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