【協同の歴史の瞬間】〔第89回〕1936(昭和11)年11月1、2日東京帝国大学農学部において「第三回産業組合問題研究会」開催される監修/堀越芳昭 山梨学院大学 元教授

監修 堀越芳昭 山梨学院大学 元教授

堀越芳昭 山梨学院大学 元教授

今回は、第三回研究会の概要と特徴をみる。特徴としては、産業組合に関する国家統制が色濃く反映され、「この研究会の使命は終わった」という研究者もいる。次に、第四回~第六回研究会の概要、特徴をみる。中央会単独の主催、参加者の減少などの特徴を持つが、困難な時期に研究会を開催した産組中央会・研究会関係者の真摯さは評価に値する。

第三回研究会の概要と特徴

第三回研究会の概要

1936(昭和11)年11月1、2日、産業組合中央会と東京帝国大学農学部との共催で東京・赤坂三会堂で開催された。「開会の辞」を中央会々頭 有馬頼寧、「挨拶」を東京帝国大学農学部 佐藤寛次が担当した。研究発表のテーマと発表者、討議の議題等は以下の通りである。

<研究発表>(11月1日)

(1)商工輸出組合と産業組合(大阪商大 藤田 敬三)
(2)消費組合の将来性(法政大 山村 喬)
(3)産業組合の工業生産問題(東大 鞍田 純)
(4)産業組合の形態と本質(宇都宮高農 高須 虎六)
(5)地方農業統制と産業組合(北海道信購販組合連合会 東 弘)

<討議>(11月2日)

議題「経済統制と産業組合」

(1)挨拶 東大 那須 皓
(2)報告① 「経済統制と産業組合」(東大 本位田 祥男)
    報告②   同上    (京大 八木 芳之助)
「閉会の辞」  千石 興太郎(中央会)

協同の歴史の瞬間

第三回研究会の特徴は、1936(昭和11)年5月に<産繭処理統制法><米穀自治管理法><重要肥料業統制法>が公布されたことに伴い、研究会全体を紹介し、総括した『第三回産業組合問題研究会報告書』から「経済統制の強化で産業組合に関する国家支配が色濃く反映するものとなった」(古桑實氏の指摘)という性格を持っていたことである。

それもあってか、この第三回研究会までは高等農林学校・帝国大学と産業組合中央会の共催であったが、第四回以降は中央会のみの主催で開催している。この研究会の仕掛人であった高須(三浦)虎六は後に、第三回をもって「この研究会の使命は終わった」と述べている。

参加者をみると、研究会の「報告書」に名簿の記載はなく、ようやく『産業組合』1936年12月号で「全国各大学専門学校の諸教授と中央地方の組合関係者約200名」とあるのを見ることができる。

第四回研究会以降の概要

研究発表を省き、討議題と参加者に絞ってみていく(すべて中央会主催)。

第四回研究会以降の概要

(1)第四回研究会 1938(昭和13)年10月29日 東京学士会館
 開会の辞・閉会の辞 佐藤 寛次(中央会副会頭)
 討議題「戦争経済の進行に伴ふ産業組合活動について」
 参加者「学校、官庁、中央関係団体より約60名出席」
     *ともに『産業組合』1939年6月号、9月号による。

(2)第五回研究会 1941(昭和16)年1月24、25日 東京・赤坂三会堂
 開会の辞・閉会の辞 不明(ただし、『日本協同組合学会20年史』は、「当日の出席者千石興太郎・佐藤寛次の中央会両副会頭、熊野 英(中央会常務理事)いずれかが担当したと思われる」と推測している)
 討議題「中小産業者の協同の効果・限界・諸形態」
 参加者「千石、佐藤両副会頭、熊野常務理事、那須、井川理事及び中央機関役職員、農林省・黒河内産業組合課長、橋本事務官、軍属、各大学専門学校職員32名、地方より50余名出席」
     *『産業組合』1941年3月号による。

(3)第六回研究会 1943(昭和18)年2月22、23日 中央会
 開会の辞 千石 興太郎(中央会会頭) 挨拶 東畑 精一(東京帝大教授)
 閉会の辞 東畑 精一 挨拶 熊野 英
 討議題「新農村建設の基本問題」
 参加者「4帝大7名、3公大6名、6私大15名、3高農1高商1高師6名、関係校3名、研究者1名、農林省2名、中央会6名、産業組合3名その他3名で計52名」
     *ともに『産業組合』1939年6月号、9月号による。

第四回研究会以降の特徴の一つが、これまでみてきたように、中央会の単独主催であったということである。

二つ目の特徴は、第一回~第三回研究会は1934(昭和9)~1936(昭和11)年まで毎年開催されていたのに対し、第四回研究会以降は2~3年の間隔があるということである。

三つ目の特徴は、参加者が大きく減少し50~60名程度にとどまっている、ということである。

第四回以降の『報告書』について先の古桑實氏は、「第4回『報告書』以降は、泥沼に踏み込んだ日中戦争の国策遂行機関化の役割から『皇国農村の建設及び東亜共栄圏確立の新国策に即応する産業組合運動の理論的展開を明確にする』研究会(第6回)となった」と総括されている。

日中戦争の勃発、太平洋戦争への突入という時代において、「産業組合と自主性の問題は、理論としてではなく、具体的にこれを処理していく時代に入った」(『産業組合中央会史』)ということであり、こういう状況の中で研究会を開催した産組中央会・研究会関係者の苦悩と真摯さをみることができよう。

参考文献/『日本協同組合学会20年史』(日本協同組合学会、2000年)
『産業組合中央会史』(全国農協中央会、1988年)

公開日:2023/04/03 記事ジャンル: 配信月: タグ: /

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