【協同の歴史の瞬間】〔第78回〕1929(昭和4)年8月2日

監修

堀越芳昭
山梨学院大学 元教授

記録をひもとく

協同組合や農協界にとって重要なターニングポイントとなった記録をひもとく。

左子清道『産業組合理事者の修養』を出す(上)

『産業組合詳解』『産業組合読本』『産業組合とはドンナものでありますか』など多くの著書を出し、産業組合の理論・実務に関し大正末期から昭和初期にかけて指導的役割を果たしたのが、産組中央会主事の左子清道(さこ・きよみち)であった。

協同の歴史の瞬間

さらに左子は『産業組合詳解』で省いた部分をまとめる作業を1928(昭和3)年3月に始める。しかし胃がんの疑いで入院、4月4日に腹部切開手術を受け、作業中断を余儀なくされた。そして、容易に回復しないと見込んだ左子は7月31日に「私(わたし)の病症は胃癌(がん)でありまして餘命(よめい)も餘(あま)り長くないと存じます……之(これ)を以(もっ)て永別の辭(じ)といたします」と引退の挨拶を産組中央会に提出している。(『産業組合』昭和3年9月号)

いっぽう、私生活では「手術後1ヶ月余りにして、骨と皮計(ばか)りの体に、手術の痕(あと)の痛みを忍んで」稿を続けたのである。まさに命を削っての作業であった。9月25日に予定していたすべてを書き終えたものの、「尚(なお)数回は訂正を加へねばならぬから、生ある中に見能(あた)ふや否や」との心配がつきまとった。

幸運にも1929(昭和4)年8月2日に『産業組合理事者の修養』として、世に出たのである。左子はその翌年8月9日に没しており、文字どおりの遺書となった。

本書は、「第一話 農村不振の実情」(昭和3年3月21日)から始まり、「第百話 為(な)すべき事の総(すべ)てを為したり」(同年9月25日)で終わっている。全体として「産業組合の進むべき方向」を説いているが、タイトルが示すように「産業組合理事者のあり方」についてかなりの量を充てている。

一例として「第五十四話 理事者たる者何の面目がある」を見てみよう。新聞紙上で産業組合・連合会の不始末が報告されたのを受け、「組合長たり常務理事たる者が……組合精神を欠いているからである。組合精神とは、組合の本義を以て精神とすることをいふのであって、この組合精神は、昔の武士に於(お)ける武士道の如(ごと)く、組合理事者に取っては、組合理事者道若(も)しくは組合道と名づけて可なるものである。而(しか)して右の如き不始末の数々が起るに至ったのは、畢竟(ひっきょう)右の組合道萎靡(いび)の結果と言はねばならぬ」と述べている。

産業組合理事者に協同組合の原点を確認することを求めている。時代が変わっても現代の組合理事者にも通じよう。

参考文献/左子清道『産業組合理事者の修養』(同栄社、1929年)

公開日:2022/05/02 記事ジャンル: 配信月: タグ: /

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